なんだか、バイト時代の話が続いていますね。この回でひとまず終わりです。
今回は、この時期に僕を救った、「決意」の重要さについてちょっと書きます。
29歳は稼ぐ年だと決めて、ガツガツ働きました。もともとの怪しいお仕事に加えて、これはまた別で書きますが、副業にも手を出していたので、お金は面白いように溜まりました。30歳から始まる暗黒の一年間が迫っていましたから(笑)、幾ら稼いでも足りないという思いがありました。
稼いでいる人というのははたから見ていて分かります。僕は必要な付合い意外では一切散財しないよう、財布の紐をぎゅうぎゅうに縛っていましたが、ちょっとしたところでお金のある気配って伝わるんですよね。割り勘にしたとき、思ったより会計が高くついても、顔をしかめなかった、とか。何かの費用についてのコメントに余裕があった、とか。そう言う小さなことに人は気が付きます。
それでも何かにお金を使っているわけでもなさそうだ。それで、周囲の人々は勘繰るようになります。あいつは余裕がありそうだから遊びに誘おうかと僕の顔が頭に浮かぶようにもなる。僕にしてみればこの一年間はただ稼ぐだけの期間ですから、遊びなんかに付き合って人生の貴重な時間を無駄にしたくはない。ただ、何度も断られると角が立ちます。それもまずい。
僕は、毎日顔を合わせる身近な人々には、独立して商売を始めるためにお金を貯めていることを打ち明けていました。可愛い後輩、という立場を利用して「応援したい」と思ってもらえるようにですね。「こいつを応援しよう」という空気さえ出来てしまえば、粗相をやらかさない限りは平和に過ごすことができます。
無理に遊びに誘って来る面倒な人に対しては、「実は借金があるのだ」と言っていました。
こういう、今思い出してもうんざりするような人付き合いにまみれた一年間を耐えることができたのは、30歳まで、と固く決めていたからでした。
手元にまとまった金が入って、「あれ? 自分ってお金持ち?」という感覚になっても、それに飲み込まれたら負けです。
「俺、金持ち」
から
「もうちょっと、この仕事してようかな」
までは、すぐです。
そうなったらあなたは一生、独立できない。できたとしても、独立を決意してから、最短距離で行動できなかった事実は、後々の自己評価に思わぬ形で響きますよ。自分を誤魔化すことだけはできません。
「これは自分の金じゃない」
ひたすら、そう考えることです。
資金稼ぎの時期っていうのは、ある意味で、独立後の稼げない期間よりもずっと苦しいんです。独立するぞって決めた段階で、周囲の人間が低レベルに見えるような気分になったり、妙な焦りが生じたりしますから。
「これは仮の姿だ」
と考えて頑張った、という仲間の話もよく聞きます。でも僕は、
「これはまぎれもなく俺の姿だ」
と思っていました。自分が心の中で馬鹿にしている人間と、同じレベルの人間なんだ、と、まずは思い知らなくてはいけない。そうしないと、飛躍できない。
足元がおぼつかないまま、飛ぶことなんてできません。
惨めな一年間だったと思います。だけど、僕は「可愛げのある後輩」をやりきったという自信があります。
30歳になったとき僕は、25歳の「先輩」にお世話になった礼を言いながら、二度とこの場所には戻らないという決意をあらたにしました。